ペット医療最前線
Vol.9 すべては望まれる獣医療のために
院長 五十嵐 治
釧路動物病院 釧路市入江町7-1 tel:0154-23-1122
患者さんのために「あったらいいな」を揃える
──拝見したところ、本当にすごい設備の大病院ですね。
最初はここからすぐの場所で平成元年に開業したんですけれども、そこで18年やってきてどうしても手狭になってきたので、こちらに新しく立て直したということです。まあ最初の病院も70坪ありましたから、決して小さくはなかったんですが、こういうことも患者さんのためにやってあげられたらいいな、ああいうこともいいな、こんなのがあったら喜んでくれるかな…ということを副院長やみんなと話し合っているうちに、結局こんなに大きな器になってしまったというわけです。でも総合病院とかにしたいということじゃなくて、うちはあくまでホームドクターとしてのスタンスの気持ちを忘れないでいたいと思っています。
──高度医療機器などの設備にも、素晴らしいものがありますが……
それも患者さんのために「あったらいいな」と思うものを揃えていったらこうなったと。その意味では、眼科、歯科、滅菌陽圧手術室、CT、MRI、放射線治療器、麻酔器などは可能な限り最先端ものを揃えましたね。もちろん現在うちでやっているあらゆる治療に役立てるためですが、僕一人でフルに使いきるということではなく、整形なら整形、循環器なら循環器、血液なら血液の専門の先生に顧問として月に1~2回来ていただいて、僕を含めて若い先生たちに指導していただいています。ここならすべての科に対応する設備がだいたいは揃っていますから。将来的には若い先生が一般臨床から始まり、のちには専門分野を伸ばすことができる役割も担えればいいなと。
──先生は最初からこの地で獣医さんをめざしてこられたんでしょうか?
それが僕の人生にはいろいろ紆余曲折があって……実は寄り道が多くて大学も2つ出ているんですよ。僕は中学時代からずっとバレーボールに熱中していて、大学を選ぶときもどうしてもバレーをやりたくて同志社大学に進んだ。で、そこを卒業して実業団でバレーを続けるか、小学生の頃から夢だった獣医師をめざそうかといろいろ迷ったあげく、一度頭を冷やして考えようとまったく関係ない銀行に勤めたんですね。そこで1年考えて出した結論が、やはり獣医系の大学を受け直そうということだったと。ですから僕は24歳で改めて獣医師をめざし始めたわけですね。副院長と出会ったのもこの大学時代です。
──副院長はどうして獣医さんの道に?
私は父の仕事の関係で子ども時代をパキスタンやイランなど海外で過ごしたんですね。父はJETRO(日本貿易振興会)に勤めていて、海外でウミガメの産卵を見せてくれたり、珍しい昆虫の生態を教えてくれたり、いろんな形で自然とふれあう機会をつくってくれました。だから私は女の子のくせに、小さな頃から虫をたくさん飼ったりしていて、高校のときには日本に帰ったら獣医さんの学校に行くんだって決めてましたね。結局帰国したのはイラン革命が起こったからですけれども……。
人医療と同じ土俵で医療ができる環境を
五十嵐治院長+律代先生
──CTやMRIは病院を新築されたときに導入されたんですか?
そうです。前々から欲しかったんですけど、ちょこちょこ継ぎ足しながらというのもどうかと思いましたので、どうせ建物を新しくするなら同時に入れてしまおうということで思い切って導入しました。だからCT/MRIはずっと我慢して我慢してやっと手に入れたという感じです。もちろんそれらが万能でないことは承知しています。しかし脳や脊髄/脊椎の状態とかを見たり、肝臓の門脈シャントをはじめとする消化管や血管系の疾患、骨疾患など多様な診断にも有効です。それまでは、おなかを開けて造影剤を入れて見てたりしたわけですから、患者さんの負担がうんと軽くなりましたよね。ただ忘れてはいけないのは、従来の基本的検査法をしっかり身に付けなければならないということです。触診、聴診にはじまりどれだけレントゲン画像を読めるか、血液検査結果や細胞をみれるか。それをおざなりにしてこれらの検査をやっても本末転倒です。脊髄疾患にしても諸角元二先生が常々おっしゃるように神経学的検査や脊髄造影などの手技を習得した上ではじめて有効に使えるのだと、とくに若い先生には口酸っぱく話しています。 またさらに難症例になると高度な技術が必要になりますから、そのときには札幌の前谷先生、武井先生や他の専門性をお持ちの先生に来ていただいて、僕やスタッフの先生も加わって一緒にやるようにしています。僕以上に経験豊富で確かな腕を持つ専門の先生のほうが、患者さんにとってもいいわけだし、飼い主さんにもそうお話ししています。ここにいる若い先生たちの勉強にもなりますしね。
──画像診断は、どのようにされていますか?
簡単なものはもちろん私達で見ますが、難しいものや複雑なものは、人間の検査技師を十数年やってから獣医さんに転身され酪農大で画像のチームにいた島崎等先生にお願いしています。先生には何十回も来ていただいて、CT、MRIの撮影、撮像の設定や画像の見方について勉強会を開いていただいています。 島崎等先生はプロ中のプロですから、やはりお話の深みが全然違いますよね。つい先日も膵臓ガンの子を診ていただいたんですけど、膵臓ガンなんて普通にやったら見えない。それを先生は、造影剤の流れに沿って機械を任意に止めたり動かしたりしながら、その部分だけを集中的にスライスし、画像にしていく。思わず「先生、おそらくこんなきれいな画像が撮れたのは初めてです」と言っちゃいました。
──放射線治療器も導入されていますが……
うちにあるのは一般に使われているオルソタイプのものですが、やはり精度的には十分じゃなくて、私達の勉強を含めてまだまだこれからという感じです。脳神経の方にも昔から興味があったので、さらにマイクロ手術も施術可能になりたいと思うんですが、それをやるための手術用の精密機器がまだ揃っていないので、まだなかなか思うようにはいきません。 そういう意味では、持っている機器のレベルが低いからできないというのは情けない話 じゃないですか。だから眼科に関していえば、トライアングルの斉藤陽彦先生に「まず正確な診断ができなければいけない。目先の手術に走るのではなくしっかりとした検査機械を優先させるべきだ」とご助言をいただき、本当に人間の医療レベルの最先端のものを揃えたんです。そのあとで手術機械の導入に至ったわけです。そうすれば正確な診断に基づいた手術ができ、またそのリスクを大きく下げられる。同時に、人と同じ土俵で手術ができる。それで駄目なら僕にはそれに見合うだけの技術がないということの証明ですから。
硝子体/網膜手術の向上で眼内手術の幅を広げる。
──五十嵐先生は、眼科にはとくに力を入れておられるようですね。
そうですね。それというのも、私の母が国内ではまだ数えるほどの先生しか白内障の手術ができなかった30年ほど前に手術を受けて、それがうまくいって視力を取り戻したという体験があることから、眼には特別の思い入れがあったんですね。 で、お亡くなりになりましたけど、かつて酪農大教授で眼科をやられていた小谷忠生先生から、興味があるなら一緒にやらないかと声をかけていただく機会があって、それがきっかけで勉強を始めました。アメリカの学会に毎年お伴させていただいて、世界の著名な先生と知り合うきっかけを作ってくださった。小谷先生亡きあとは、せっかく小谷先生が育ててきた酪農大学の眼科をなくしていけないという思いで、僕と斉藤陽彦先生とで分担しながら酪農大附属病院で手術や診療の指導をしています。
──眼科というと、やはり需要が多いのは白内障でしょうか?
白内障手術は年々多くなってきました。最近は若年性のものがほとんどですが、もちろん高齢の症例もあります。この前は15歳のワンちゃんでした。片目が緑内障で駄目になっていて、もう片方も白内障だというので、なんとかしてもう一度見えるようにしてあげたいとの飼い主さんのご希望でした。 こうした患者さんたちが、道内各地から頻繁に見えられるようになりました。この前は本州から70歳過ぎのご夫婦がワンちゃんを連れてこられた。東京の方が近いんじゃないですかとお話したんですけど(笑)。 だけど、こんなことを言うと皆さんから叱られるかもしれませんが、斉藤先生の言葉を借りれば、白内障の手術は、一般的な開業医でいうと開腹手術のようなものだと思ってるんですよ。もちろん、数年トレーニングすればできるようなそんな簡単なものじゃないし、なかなか奧は深い。緑内障などが合併していれば同時手術が必要になってくる。ひとつ間違えれば光を戻す手術が光をなくしてしまう結果にもつながるわけですから。ただ、今日、白内障手術ができることが専門医の証だというような傾向がありますが、それは少し傲慢ではないかと思うんです。人間の眼科では前眼部、後眼部と分かれていますが、獣医眼科ではアメリカでもそこまでは至っていないのが現状。白内障の手術ができるのは当たり前としてさらにその先にある問題が解決できないと専門医の存在意味がないわけですからね。僕自身、ほんとの意味で眼科医を名乗るにはあと100年かかると思ってるんですよ。
──さらに先をめざさなければ専門医を名乗るべきではないと?
そんな大げさなことではありませんが…。眼科に限らず各科においてもまだまだ問題が山積みだと、亡くなられた竹内先生がよく話しておりました。世界のどこから見られても恥ずかしくないレベルの向上が急務だと思います。個人的にはできれば最終的に脳にまで行きたいと思っています。眼は脳に繋がっていますから、いつかは結びつけたいですね。もちろん眼に限っても、動物の眼科手術では硝子体や網膜剥離の手術がようやくスタート地点にたったところですから、もっともっと先に行かなきゃいけない。人間は部分的な網膜剥離が多いので、その部分にレーザーを打てば終わりなんですけど、動物の場合はほとんどが全部ペローッとはがれちゃうんです。原因はよくわかってないんですが、鋸状縁の端っこの方に穴ができて、そこから硝子体液がワーっと入ってきて全部がはがれちゃう。そこで比重の重いカーボンオイルを入れて膨らませ、剥離して縮んだ網膜をレーザーを使って張り直して再生させるわけですけど、国内で施術可能な機械をもっているのはごくわずかでしょう。3年ほど前から、なんとかできないものかと人医眼科の先生やアメリカの先生の手術を参考にして見よう見まねでトレーニングしてきました。 この手術は人間よりはるかに厄介で、動物の場合は、眼の裏側の寒天状のネバネバしたところにはがれてくっついた網膜を、高速のカッターで切らなければならない。それを寒天状のネバネバを吸引しながらやるわけです。だからそれ専用の機械がなければ到底できない。また、水晶体の裏と網膜の間にあたる部分に、強膜面から穴を3カ所開けてアプローチするわけですけど、眼底も専用の顕微鏡やレンズを使わないとよく見えません。もちろんアルゴンやYAGレーザーも必要になる。 さらにこの症例に白内障も同時に起こっていたら、先に白内障の手術をしおえてから網膜の処置をする。そうしたことに取り組めるのも、やはり高度医療機器があってこそなんですね。
──逆にいえば、専用の機械なしにはやってはいけない手術のようにも思います。
この他にも、まだまだ開発中のおもしろい機械もあるんですよ。たとえば、犬の眼には今どう見えているのかを画像にして見せる機械とかね。そのメーカーの社長さんが、もし動物でこれができたら、人間の未熟児の網膜症とかにも使えるんじゃないかということで、世界で初めてこれを世に出したんですよ。これを使うと、白内障のワンちゃんにはどんな世界が見えているかが、絵になって出てくる。その子の網膜には今この光景が映ってますよということです。 この機械のメリットのひとつは、手術の適応かどうかを見極めることが容易にできることですね。たとえば同じ白内障でも網膜剥離を併発して数カ月以上が経過していたら、これはもう何をやっても駄目なんです。曇っていてもぼんやりと見えているというのと、何も見えていないというのでは全然違いますから。そうなるとこれは網膜をやられているということで、その一歩手前なら手術の適応ですけど、何もスクリーンに出てこないようなら難しいと。
動物の治癒力をアップするペインコントロール
眼科検査では、デジタルファイリングシステムにより映像でオーナーの方に症状を説明するそうです。
──先生の病院ではペインコントロールにも力を入れておられるそうですね。
これは副院長が専門でやってるんですけど、いまは手術前からペインコントロールをきちんとやって、通常の開腹手術をした子もその日のうちに帰っていただくようにしています。この前も骨折の手術をして、その日のうちにお返ししたことがありました。それでも全然大丈夫。もちろん望まれれば入院も当然可能ですけど、できるだけ動物に精神的な負担をかけたくないし、飼い主さんも経済的に楽でしょうから。 最初は、ペインコントロールでは世界的に有名な現パーデユー大学のコー先生の通訳をやらせていただいたことがきっかけで、5年前からうちの病院でも始めたんですね。先生の言葉を借りれば、「動物だって痛いのは人間と同じなんだから、痛いだろうな、痛いんじゃないかなと感じたら、すぐに痛み止めを使ってあげなさい」と。それを基本的な考えにおいてやってます。 私は、先制鎮痛という言葉を獣医師になって初めて耳にしましたね。これは痛みが起こるであろうと予想されるときには、それが来る前に痛み止めを使ってしまおうという発想で、あらかじめ痛みを遮断しておけば、薬が切れても蓄積された痛みがあとからワーっと押し寄せることはないと。そうすれば動物はすごく楽だし、術後も安定した状態が持続して治りも早くなるというわけです。
──動物の医療の世界では、これまでペインコントロールはまったく行われてこなかったのですか?
もちろんちゃんとした病院ではやられていると思うんですけど、全体的に見ればまだまだですよね。麻酔だけを専門にやる先生を置いている病院は少ないでしょうから。麻酔はまだ手術のできない若い先生にまかせているというのが現状だと思います。だけど院長先生のやる手術を横目でチラチラ見ながらモニターもやるというのでは、どうしても限界があるでしょう。 私もコー先生にお会いしたことで、麻酔医の重要性に気づき、それを集中的にやり始めたら、ああ今この子は命のギリギリのところで呼吸をしているんだということが手にとるように伝わってきて、とても緊張したし面白かった。同時に自分がすごく大きな責任を担っているんだということも実感しましたね。 今アメリカの人医学では、手術中に患者の意識の有無を調べるために、脳波に類似した波形を測る機械を使っています。これは患者に意識が残っている状態で手術をしてはいけないということで、意識があるのに手術をした場合、訴えられたら負けるんだそうですよ。
多くの組み合わせの中から最適の麻酔方法を選ぶ
──麻酔の専門医というのは、どういったことをされるんですか?
犬と猫でも犬種によっても違いますね。もちろん年齢やサイズによっても違ってくる。いま私は、吸入麻酔という人工呼吸器を付けながらやる麻酔を勉強しているんですけど、これなどもサイズの大きい小さいや肺の形、その柔らかさによってどれぐらいの人工呼吸をかけたら一番安全かを選ぶのがすごく難しくて、さらに圧のかけ方や送るエアーの量とかも微妙に変えていかなければいけないということもあって、とても苦労しています。マニュアルなんてない世界ですから。 もうひとつ、とても重要なことですが、やはり事前にきちんとした検査をしてその子の状態をよく把握しておくことと、術中のモニターですよね。血圧をとって、血液中の酸素を測ってきちんと管理をする。だからうちでは短時間で終わる手術でも監視のための作業は怠りません。時には手術時間より多くかかってしまいますが(笑)。動物にはいつどのような変化が起こるかわかりませんから。 昨年は、コー先生をお招きして、手術中の麻酔をはじめCTやMRI検査時の麻酔のやり方などを実際の症例を使って教えていただいたりということをやってます。そういうときには懇意にしている先生とかにも声をかけて集まってもらい、ディスカッションをするというのもやります。ここには80人近くが入れるセミナー室がありますので。
教育病院としての役割から飼い主さんの心のケアまで
自然に恵まれた北海道のこの地で、最新の医療設備や技術はもとより、心のこもったケアーを提供されるため、来院される患者さん、そして そこで働くスタッフもが心地よく過ごせる環境を配備されています。
──教育病院としての機能も徐々に働きつつあるということですね?
実際はまだまだですが、多くの顧問の先生などのお力を借りながら、自分はこれをやりたいと思っている若い先生たちが集まれる場所を提供したいと思ってるんですよ。ただ、人を集めてネットワーク化して何かを立ち上げようというような気持ちはさらさらなくて、ここに特定の分野に強い先生たちがたくさん集まれば、それだけ患者さんによい医療が提供できるだろうという単純な思いからなんですけどね。 私の病院をはじめ、なかなか地方には先生がきてくれませんが、北海道の田舎町でも、これだけ一生懸命やっているんだということをスタッフ全員が誇りに思ってくれたら最高の幸せだと思います。みなさん待っています。 あと、ここにはレインボールームというのを設けて、主に私が重病の子を抱えた飼い主さんのフォローとか、ペットロス対応としての精神的なケアとかをやっています。それはまったくのボランティアですね。飼い主さんって、ペットが亡くなっても思い切り泣く場所がないじゃないですか。何ができるというわけでもないんですけど、その子の写真を見ながら思い出話をお聞きしたり、その子のことを一緒に話し合ったり……そんなことでも少しは飼い主さんが癒されるのかなと。言ってみれば、思い切り泣ける場所ということでしょうか。
──しかし、ここまでの設備を揃えたら、相当な費用がかかると思うのですが……
もちろん大変ですよ。私や副院長のわずかな蓄えに加え銀行から億単位で借り入れをして……。だけど今は二人ともこんないい生活をしたいというよりも、よりよい医療を患者さんのために提供できる方が何倍もいいというのが頭にあって、言ってみればその理想を捨てきれなかったということです。極端な話、一食をカップ麺とビール1本にしても、最低限これだけの設備を揃えたかったと。まあ二人とも本物の獣医バカだからできたことですね(笑)。
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